日本では保険業の生成・確立期において,二度の類似保険ブームが発生した。本稿では明治中期に発生した二度目のブームについて,福岡県を事例に「商業登記公告」を用いて実態の把握と分析を試みた。その結果,旧商法施行期の約6年間において68社の類似保険会社が判明した。この二度目のブームは広島県での弐銭講舎を起源とし,福岡県をはじめ各地に拡大した。旧商法期の保険会社は一般の会社と同様に扱われたため,類似保険会社のほぼ大半は書面契約かつ有限責任社員だけで設立が可能であった合資形態を採用した。当該期の類似保険は加入者を募り,加入者の間に規約に定めた事故・出来事が発生すると掛金を徴収して支払う仕組みであったため,資本の裏付けのない杜撰な設立が相次いだ。1897年以降,裁判所の命令により多くの類似保険会社は解散に追いやられるが,特段の罰則を受けず,再び類似保険を企てるグループも存在し,濫設に拍車をかけた。1900年,保険業法の公布・施行により合資・合名形態の保険事業は禁止された。しかし,その後も上記のような仕組みの類似事業は企てられ,本稿では類似保険問題は完全に解決し得なかったと考えた。
Masaki Kusano (2025) studied this question.